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== カナダ生活 ==

COVID-19のカナダ生活

カナダでは、COVID-19(新型コロナウィルス)の感染が拡大し始めたのは、3月の中頃でした。
私も、仕事は一時解雇で休業になり、スティ・ホームを始めました。
学校は登校を見合わせることになり、そのタイミングで春休みに突入。
2週間の春休みの間に、すべての学校はオンライン授業に移行することが発表されました。
車が行き交う音も減り、たまに食料品の買い物に出ても、道がガラガラです。
医療従事者や食料品店で働く以外の皆が、スティ・ホームしているのがはっきりと分かりました。
夫はIT関係の仕事なので、問題なくリモートで自宅から仕事です。

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娘は小学校1年生です。
オンライン授業と言っても、毎日30分くらい。
ビデオチャットを横から見ていて思いましたが、小学1年生の集中力など30分が限界に思えます。
みんな、ごそごそ、ごっそごそ、しっぱなし(笑)
1年生の教材なので、足し算、引き算、簡単な言葉のスペリング、読み、など私でも教えらえるレベルなのが良かったです。
庭に出て葉っぱの形を観察したり、写真のように色々な形の葉っぱや枝を使って虫を表現したり、体育と言って庭で走り回ったり、雨の日に傘さして散歩に出たり。
それを算数や読み書きの間に挟みつつ、おやつの時間や自由時間も挟みつつ、だましだまし家庭学習をした日々でした。

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3月半ばに各州で緊急事態宣言が出始めたとき、カナダの国の政府は、失業や一時解雇の手当を特別に多く出すことをすぐに告知したので、多くの人がスティ・ホームを始めました。
4月でがっつりとスティ・ホームをした効果はてきめんで、私の住むBC州の感染者数は順調に減って行きました。
ただ、BC州の保健省はものすごく慎重で、まだまだですよ、と常に呼び掛けていました。
5月中旬、少しずつ規制が緩くなり始めました。

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6月になると、皆少しずつ活発になってきました。
私たちも公園へ行ったり、時にはショッピング(買う目的があっての)にマスクをつけて行きました。
レストランもテイクアウトのみだったのが、イートインも色々と条件付きでやってよくなりました。
警戒しつつも、徐々に日常を取り戻しつつあります。
学校も再開しましたが、実際学校に行くか、オンライン学習を続けるかは、各家庭で決めます。
小学生の場合、学校に行くならクラスの半分は月・火に登校、水曜と週末に大掃除が入り、残りのクラス半分は木・金に登校ですが、学生の70%くらいは自宅学習を続けたそうです。

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6月からキャンプも解禁になりました。
キャンプ場はもともと家族ごとの距離がかなりありますから、安全なレクリエーションかなと思います。
私の仕事は残念ながらCOVID-19の影響をかなりまともに受ける職場で、しばらく仕事復帰することはなさそうです。
なので今年の夏は、キャンプに行きまくろうかなと。
さっそく行ったキャンプ場に、マーモット(marmot, 大きなリス?)がたくさんいて、じっとしているとすごく近くまで寄ってきました。

不安なことはたくさんあります。
日本の家族に何かあっても今は行くのが難しいし、自分が菌を運んでしまったらという思いもあるので、何もないことを祈るばかりです。
子供はかかりにくい、重症になりにくいと言われていても、例外的な話を聞くとやはり怖いです。
このまま仕事に戻れず職を失い、そんな人がたくさんいる現状で次の仕事が見つかるのか、という不安もあります。

ですが、せっかく娘と毎日過ごせる時間ができたので、今は娘のペースにできるだけ合わせてあれこれ一緒にやりたいな、と思います。
働いているときは、平日は帰宅したら夕飯を一緒に食べ、お風呂に入れて、本をベッドで読んであげる、たった2時間のふれあいでした。
娘はやっぱり嬉しそうです。
学校は明日から予定通りに夏休みに突入で、2か月後の新学年はどういったスタートを切るのか分かりませんが、娘と毎日過ごせるのも限られた時期だけかもしれないですよね。
夫にもよく言うのですが、あと5,6年もすれば私たちは相手にされなくなるかもしれない、そういう時期が来たら、もう二度とこんなに密な時間は過ごせないんじゃないかって、思います。
今できることを、楽しみましょう。

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== カナダ生活 ==

父の気配を感じた日

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海外に住むというのは、親の死に目に会えないかもしれないということです。
仕事帰りに毎日病院へ立ち寄ることができない、手を握ることができない、寝息を聞くことができない、そういったことです。
カナダに移り住み、そういうことを考えたのは幾度となくありましたが、老後を楽しむ両親は何度もカナダに足を運んでくれ、いつかくるお別れのことも、時々冗談交じりに話したものでした。
突然亡くなる方も世の中にはたくさんおられます。
父は病気が分かってから、3年もの延命を受けました。
私たちはその3年を、とても有効に使えたと思います。
何度もカナダに来てくれていたのに、まだ参加していない行事がある!と言って、最後の年にはイースターとハロウィーンに合わせて2回も来てくれました。
初めてイースター・サンデーの卵探しをやって夢中になり、初めてハロウィーンのかぼちゃ彫りを楽しみ(一番右の、優しい顔のジャックオランタン)、コスチュームを着て一緒に出掛け、そんな姿を新聞記者に撮ってもらい新聞に載り、私たちの中でも忘れられない思い出となりました。

ただやはり、昨日も書いたように、亡くなった後は幽霊でも会いたいと願う気持ちはずっと続きました。
母などは、毎日夢に出てくると言っていたのに、私はちっとも父の夢を見られませんでした。
霊感も無いので、実家に行っても父の匂いがするとかもなく、声が聞こえるわけでもなく、父のことを思っているのに、何もないのです。
夢すら見ない日は続きましたが、亡くなってゆうに半年以上も経ったある日のこと、それは起きました。

私は疲れてベッドで寝ていましたが、ふとした気配で意識が覚めました。
まだ夜の11時とか、そんな時間です。
誰かが私の横に立っています。
娘は7時半くらいに寝付いたら朝まで起きませんが、ひょっとしたら娘かなと思い、気付かない振りをして、寝たふりを続けました。
夫が下の階でごそごそしている音が、テレビの音と共に聞こえていました。
しばらくして、気配がドアの方に動き出したので、うっすらと目を開けてそちらを見ました。
そしたら、それは娘よりも小さな影でした。
そしてその影は、すすすっとドアの方へ行き、10センチくらいしか開いていなかったドアの隙間からするりと出て行きました。
え、いくら小さい娘でもその隙間は無理だろう、と考え出して、更に目が覚めてきたとき、娘の部屋から一度だけ私を呼ぶ声が聞こえました。
私は起こった出来事を、頭の中でもう一度再現して、あぁあれは父だったのだ、ずっと母の傍についててくれてやっと時間を見つけて私のところへ来てくれたんだ、その後私の娘の寝顔も見に行ったんだろうな、と思いました。

父だと思うと怖いことなど全くなく、ずっと幽霊でも会いたいと思っていたのですから、むしろ嬉しかったのです。
その話を翌朝夫にしました。
夫は、「実はその時間、戸締りの確認をしていたんだけど、上の階で人が歩くような気配がしたんだ。
だから余計、戸締りしっかり確認したんだけど。
そうか、お義父さんだったのか。」
と、妙に納得した様子でした。
この不思議体験はたった一度のことでしたが、この話を家族や近い友達にするうちに、気持ちが軽くなっていきました。
夢でも幽霊でも会いたいと思っていたのは、最後にもう一度父に会いたいという叶うことのない願望。
それを父が叶えてくれました。
しょうがないな、一度だけだぞ、と。
そしてそれは、充実した3年であったにも関わらず生まれた、もっとできたはずという後悔の念を、消してくれました。


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== カナダ生活 ==

3年の間に。

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また、随分と年月が経ってしまいました。(3年!)
何年も放置していたのに、いつもここに戻ってきます。
ここで何かを書くことで、心の整理がつくことがある気がしています。
今は新型コロナの世界的流行で、私の住むカナダでもその影響は大きく、この2か月半ほどの生活はがらりと変わりました。
最近の話は、また追って書いていこうと思います。
写真は、6歳になった娘(左)と、冬休みに日本から遊びに来てくれた12歳のいとこちゃん!(私の姪っ子)

5年前に、父に末期の肺がんが見つかりました。
父は一つのことを決めたらそれにひたすら突き進む人で、末期の宣告を受け(とはいえ、咳が出る以外は割と普通だったよう)、絶対にガンに負けない、カナダにも遊びに行く!と決め、それを実行しました。
抗がん剤の治療を繰り返す合間に、3年のうちに3回もカナダに遊びに来てくれました。
いつも見送りのときに、ひょっとしたらこれが最後かもしれないという思いがこみ上げましたが、父がまた必ず来てみせると張り切っているので、そうだ絶対来れるはずだと、心から応援していました。
国内旅行もしたし、大好きなゴルフも時々。
3年の闘病の末、2年前に亡くなりました。

当たり前なんですけど、ものすごく辛かったです。
あんなに大声で泣き崩れたのは初めてでした。
私のことを、私が生まれたときから知っていた、どんな時でも味方でいてくれた、反抗期で親に連絡もせず不貞腐れていた時期も見捨てずに待ってくれていた、ずっと大きな愛情で包んでくれていた、父が去ってしまった。
いつかは訪れることだと知ってはいたけど、全然分かっていなかった。
2年経ってもやはり寂しく、幽霊でもいいから会いたいと、強く願っている自分がいます。
でも、私からは見えなくても、きっと父は私のことを見守ってくれている、そうも思います。

その後に、母は一度夏に一人でカナダに遊びに来てくれ、冬には12歳の孫を連れて来てくれました。
父が、自分が居なくなってもカナダには行けと言ってくれたから。
昔からそうでしたが、両親が遊びに来てもいいかと私が夫に聞くと、日程も聞かないうちに、何の迷いもなく「もちろん!何週間だって大歓迎だよ」と言ってくれる夫には、本当に感謝しかありません。

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